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【実録】理事長交代から6ヶ月。愛着のあったボランティア団体が「別の組織」に変わってモチベーションが消えた話

【実録】理事長交代から6ヶ月。愛着のあったボランティア団体が「別の組織」に変わってモチベーションが消えた話

辛さを感じる誰かの心に寄り添いたくて始めた、傾聴ボランティア活動。
スタートして1年半が過ぎた頃、私は毎週の活動にやりがいと悩みを感じつつ、この活動を自分にとって「大切なこと」だと思っていました。

しかし、トップの突然の退任からわずか半年の間に、団体は目まぐるしく姿を変えていきました。

組織の再編成、広報の強化、ルールの厳格化——。
一見すると「拡大・発展」しているように見えた裏で、現場のボランティアである私の心はどんどん置き去りにされていきました。

今回は、私が体験した「組織の変容と、それに伴うモチベーション急降下の6ヶ月間」を時系列でお話しします。

【事件の始まり】「一生をかける」と言っていた理事長の突然の退任
変化のきっかけは、突然訪れました。

わずか2ヶ月前の研修で、理事長は「この事業に一生をかける覚悟で始めた」と熱弁を振るっていました。その言葉に感銘を受けていただけに、本部から届いた「理事長退任」のメールを見た瞬間は、目を疑いました。

直接の挨拶も一切なく、次の理事長すら決まっていない状態でのあっけない去り際。
私の中に残ったのは、深い驚きと不安、そして組織に対する強い疑念でした。

「この団体は、いまなにをしているんだ?これからどうなってしまうのだろうか……」

 

【1〜2ヶ月目】組織の肥大化と新たな役職の誕生
退任から2ヶ月の間に、事態は急速に動き出しました。

元事務長が新しい理事長に就任し、同時に大掛かりな組織の再編成が行われたのです。

これまでは「理事長」「事務長」「ボランティア局長」というシンプルな体制だったのが、新たに「研修部」「広報部」「情報管理部」という3つの部署が設立され、それぞれの「長」が着任。さらに広報専任の職員が5名採用されたと発表されました。

本部の体制が急ピッチで大所帯になっていく様子は、現場で活動するボランティアには、どこか遠い世界のような違和感が感じられました。

 

【3〜4ヶ月目】「管理」の始まりと、冷ややかな注意喚起メール
3ヶ月目を過ぎると、新理事長からのメルマガが定期的に届くようになりました。
「新体制の考え方が見えて、本部との距離が縮まったかな?」と最初は好意的に受け止めていたのですが、変化はすぐに別の形で現れました。

これまでボランティアへの連絡は「ボランティア局」からのみだったのに、新設された各部署や各「長」から直接、一斉メールが頻繁に届くようになったのです。

そしてこの頃、事務長から「規約違反で登録解除されたボランティア相談員」に関する注意喚起メールが届くようになりました。

具体的な問題点は伏せられたまま、「即時登録抹消」「反論不可」「自己責任と損害賠償」といった高圧的な言葉が並ぶメール。組織がボランティアを「共に歩む仲間」ではなく「リスク管理の対象」として見始めている気配を強く感じた瞬間でした。

 

【5〜6ヶ月目】管理強化とモチベーションの崩壊
5ヶ月目以降、組織の歪みはピークに達しました。

① 「ボランティア掛け持ち禁止」
広報部の活躍によって相談希望者のアクセス数が急増。しかし現場のボランティア数が追いつかず、対応しきれない相談が溢れかえりました。すると本部は、人手不足の解決策として「他の傾聴団体への掛け持ち登録禁止」を通知してきたのです。

ボランティアの自発的な善意に対し、行動を制限し管理だけを強めていく姿勢に、息苦しさは増すばかりでした。

② 相談者の質の変化とトラブルの増加
広報の強化によって窓口が広がった影響か、明らかに「ルールを守らない相談者」が増加しました。

ボランティアの個人情報をしつこく探ろうとしたり、暴言を吐いたりと、本来の団体の活動目的とはかけ離れた目的で利用していると思われる相談者が急増したのです。

安全に守られていない環境で、ただ荒れる現場に放り出されている感覚でした。

 

【結び】6ヶ月間の変化の末に起こった、自分自身の変化
6ヶ月が経過した頃、私自身の心は完全に折れていました。

ボランティアの現場を直接知らない部署から、次々と届く注意喚起や活動催促のメール。
開くたびにストレスが跳ね上がり、活動へのモチベーションは底をつきました。

そして何より、「寄り添い」を必要としている人に届かず、悪意やハラスメント目的の相談者に振り回される日々に、「私は一体、何のためにこの活動をしているのだろう?」と自分の存在意義を見失ってしまったのです。

 

おわりに:違和感を覚えたら「自分の心」を最優先に
ボランティア活動は、誰かに強制されるものでも、我慢して自分をすり減らすものでもありません。

トップが代わり、組織の目的が「人の心に寄り添うこと」から「管理・拡大・リスク回避」へとすり替わってしまったとき、そこに無理に留まり続ける必要はないのだと痛感しました。

もし皆さんが所属している団体で、急激なルールの厳格化や現場を無視した指示が続き、強いモヤモヤを感じているなら……それはあなたの熱意が足りないからではなく、組織のあり方が変わってしまったサインかもしれません。

自分の情熱と安心を守るために、「距離を置く」「別の場所を探す」という選択肢を持っておくことは、決して逃げではなく、自分自身を守るための健全な決断です。

 

画面越しでも心は通う?オンライン傾聴ボランティアのリアルと、始めて気づいた“ただ聴く”価値

「画面越しでも心は通う?オンライン傾聴ボランティアのリアルと、始めて気づいた“ただ聴く”価値」


「在宅で誰かの役に立ちたい」「人の話を聞くボランティアに興味がある」

そう思って「オンライン傾聴ボランティア」を調べてみると、手軽に参加できそうな反面、いろいろな不安が湧いてきませんか?

「画面越しで本当に相手の気持ちに寄り添えるのかな?」

「会話が途切れて気まずい沈黙になったらどうしよう……」

私自身も最初はそんな不安を抱えていました。しかし、実際に体験し、さまざまな参加者のリアルな声に触れる中で、「上手な会話」よりもはるかに大切なことに気づきました。

今回は、ネット上のリアルな声を紹介しつつ、オンライン傾聴ボランティアを通して得た体験的な気づきをお伝えします。これから一歩を踏み出そうとしている方のヒントになれば幸いです。

ネットの声から分かる!オンライン傾聴ボランティアのリアル
オンライン傾聴(ZOOMや電話などを通じた傾聴活動)について、実際に参加している人たちの投稿や感想を調べてみると、ポジティブな魅力と同時にオンライン特有の難しさが浮かび上がってきます。

主なメリット
自宅から全国の人と繋がれる: 移動時間がなく、スキマ時間や体調に合わせた活動ができる。

対面よりも参加のハードルが低い: 高齢者施設などへ出向く必要がなく、初心者でも始めやすい。

よくある悩み・壁
「沈黙」の間が対面以上に気まずく感じる: 画面越しだと相手の様子が探りにくく、間(ま)ができると焦ってしまう。

相手の空気感や表情の微細な変化が掴みにくい: 非言語情報(雰囲気や全身のしぐさ)が少ないため、相槌のタイミングに迷う。

「うまく話せなかったらどうしよう」「相手を退屈させてしまうかも」という焦りは、多くの初心者が最初にぶつかる共通の壁のようです。

【体験的考察1】「上手な返答」を手放すと、オンラインの壁は越えられる
初心者が陥りがちなのが、「相手のために何か良いアドバイスをしなきゃ」「会話を盛り上げなきゃ」という思い込みです。しかし、傾聴において求められているのは「上手な話し手」ではありません。

むしろ、「良い返答をしよう」と考えれば考えるほど、意識が『自分の頭の中』に向かってしまい、相手の言葉がおろそかになってしまいます。

「上手なアドバイスをする自分」を手放し、ただ「相手が今、何を伝えようとしているのか」に全意識を向ける。画面越しであっても、「否定せず、評価せず、ただそこにいて聴く」というスタンスに徹したとき、相手も安心して言葉を紡ぎ始めてくれます。

【体験的考察2】対面以上に大切な「沈黙」と「自分の心の整え方」
オンライン傾聴で一番恐ろしいと感じやすいのが「沈黙」です。

しかし、実は「沈黙=失敗」ではありません。

相手が沈黙しているとき、それは「自分の心の中を探り、大切な感情を言葉にしようと一生懸命考えている時間」であることがほとんどです。焦ってこちらの言葉で埋めてしまうと、相手の思考や感情の整理を遮ってしまうことになります。

沈黙を怖がらないための「自分の心の整え方」
オンライン越しで沈黙が訪れたときは、自分の「呼吸」に意識を向けてみてください。

自分の呼吸が浅くなっていないか確認する

ゆったりとした深い息を意識し、心を落ち着かせる

画面越しであっても、こちらの焦りや緊張感は不思議と相手に伝わります。まず自分自身が「今、ここ」の会話に集中し、ゆったりとした心で待つ。この「自分を整えるプロセス」こそが、画面越しに安心感を届ける一番の鍵になります。

【体験的考察3】「孤独」に寄り添うということ
活動を続けて感じたのは、自宅にいながら深い孤独や寂しさを抱えている人が想像以上に多いということです。

画面越しにただじっくりとお話に耳を傾けていると、最初は硬かった相手の表情が少しずつ柔らかくなり、声のトーンが明るくなっていく瞬間に出会えます。

「今日はお話しできて本当に嬉しかったです」

「誰にも言えなかった気持ちを聞いてもらえてスッキリしました」

特別な解決策を提示したわけでもないのに、そう感謝されたとき、「人はアドバイスをしてほしいのではなく、『ただ理解された』と感じたいのだ」というリアルな実感を持ちました。

おわりに:完璧じゃなくて大丈夫。まずは「聴く」一歩から
オンライン傾聴ボランティアを始める前に、特別なコミュニケーションスキルや完璧な知識は必要ありません。

必要なのは、上手な返答をする技術ではなく、「相手の言葉をそのまま受け止め、寄り添おうとする温かい姿勢」です。

画面越しであっても、あなたの「聴こうとする心」は必ず相手に届きます。もし迷っているなら、まずは説明会や講習会に参加してみるなど、小さな一歩を踏み出してみませんか?

『ラヴ上等』から考えるエンタメの責任——治安を支えてきた「社会の規範」は揺らいでいるのか

『ラヴ上等』から考えるエンタメの責任——治安を支えてきた「社会の規範」は揺らいでいるのか


昨今、Netflixなどの動画配信サービスを中心に、過激な過去や逸話を持つ出演者をフィーチャーしたリアリティ番組が大きな話題を集めています。人気作品『ラヴ上等』シリーズもそのひとつであり、刺激的なエンターテインメントとして多くの視聴者を楽しませている一方で、その演出手法や社会的影響を巡って様々な議論が巻き起こっています。

一見すると「訳ありの若者たちの人間ドラマ」として映るこうしたコンテンツですが、その背後にある表現姿勢や制作側の対応について、少し立ち止まって考えてみる必要があるのではないでしょうか。

今回は、この番組をきっかけに浮き彫りとなった「反社会的な行為に対する社会の空気」と「エンターテインメントが担うべき社会的責任」について論じたいと思います。

日本の良好な治安を支えてきた「厳しい規範意識」
日本が世界的に見てもきわめて高い治安水準を維持できている背景には、警察や法制度の優秀さだけでなく、「反社会的な行動や他者への加害行為に対して厳しい態度で臨む」という社会全体の空気(規範意識)が存在しています。

「ルールを破り、他者に危害を加える行為は決して許されない」という明確な規範と、それに対する厳しい目が共有されていること自体が、強力な犯罪抑止力として機能してきました。厳しいからこそ踏みとどまる、という人間心理や社会構造の健全さが、私たちの安全な日常を守ってきたと言えます。

エンターテインメント化がもたらす「非難の弱体化」
しかし、近年の動画コンテンツにおいて、かつて暴力行為や反社会的行動に関わっていた人物をヒーローやヒロインのように祭り上げ、恋愛や成長のストーリーとして発信する手法が目立つようになりました。

加害経験や過去の過ちが「個性のひとつ」や「ドラマチックな演出の材料」として消費されるとき、社会の中に少しずつ以下のような変化が生じます。

過ちの不可視化・軽視:過激なエピソードがエンタメとしてエンブレム化され、本来向けられるべき批判の刃が鈍化する。

規範の弛緩:反社会的な振る舞いをした人物であっても、メディアで脚光を浴びることができるというメッセージを社会に発信してしまう。

反社会的な過去を持つ人物を単なる「エンタメの消費財」として提示することは、これまで私たちが共有してきた「不法行為に対する厳しい空気」を和らげ、結果として治安維持の土台を崩しかねないリスクをはらんでいます。

批判に対する制作側の姿勢と「静観せざるを得ない空気」
さらに議論を呼んでいるのが、番組や出演者に対して批判的な声が上がった際の制作側の対応です。

視聴者や社会から「過去の過ちの扱い方が不適切ではないか」「被害者への配慮が欠けているのではないか」という正当な指摘や批判が出た際、制作陣が「出演者を誹謗中傷から守る」という名目で声明を出すケースが見られます。

もちろん、個人的な容姿攻撃や無根拠な中傷は決して許されるものではありません。しかし、番組の構成や演出に対する構造的な批判までをも「誹謗中傷」と同列に扱い、「批判すること自体が悪である」かのような被害者的な構図を作ってしまうことには疑問を禁じ得ません。

こうした姿勢は、正当な疑問を投げかけようとする人々を威縮させ、「反社会的な行動を批判してはいけないような空気」を作り出す結果をもたらします。

おわりに:製作者に問われる倫理観
番組製作者が意図的に日本の治安悪化を望んでいるわけではないとしても、市場の関心や刺激だけを追求した結果として、日本の高い治安水準を支えてきた社会規範を弱体化させようとしていると言わざるを得ません。

過ちを犯した人物の更生や再起そのものを否定する必要はありません。しかし、それをエンターテインメントとして消費・発信するとき、社会にどのような影響を与えるのか、そして批判を受け止める真摯な姿勢があるのか。

表現の自由が認められているからこそ、メディアや製作者にはそれ相応の重い社会的責任が求められているのではないでしょうか。私たち視聴者の側も、単に刺激的なコンテンツとして受け取るだけでなく、それが社会に与える波紋について冷静に見極めていく姿勢が必要です。

MEGUMI『ラヴ上等』めぐり声明 出演者への誹謗中傷に「どうかおやめください」

番組制作側は、出演者の中に「被害者」が出ることを期待していると思う。製作者の目的は、日本の治安レベルを下げて、国内を混乱させること。「被害者」を出して、彼らに批判的な人を「黙らせる」「委縮させる」。誹謗中傷による「被害者」がでる、それは制作側にとって成功だと思う。

 

被害者が出る前に番組を打ち切った方がいいと思う

 

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プーチン大統領、10年ぶりの来日!

プーチン大統領、10年ぶりの来日!
というわけで、ロシアのプーチン大統領が日本固有の領土である択捉島を電撃訪問されたそうで、忙しい中ありがとうございます。
前回の来日を調べたら2016年なんですね。安倍首相と山口に行った、あの時以来の「来日」ですね。
首相官邸も外務省も聞いてなかったみたいで、サプライズ来日ですよ。
ロシアのスパイである鈴木宗男、佐藤優とかは知ってたのかな?
いずれにせよプーチン大統領、10年ぶりの来日でございます。
次はなにかな?習近平の台湾電撃訪問かな?

 

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【実録】傾聴ボランティアのモチベーションが1通のメールで急降下した話|組織と個人の距離感を考える

【実録】傾聴ボランティアのモチベーションが1通のメールで急降下した話|組織と個人の距離感を考える


「誰かの心に寄り添いたい」「少しでも人の役に立ちたい」

そんな思いから始めた傾聴ボランティア活動。目の前の相談者さんと向き合う時間にやりがいを感じ、自分なりに心を込めて活動を続けていました。

しかしある日、本部事務局から届いた1通の一斉メールをきっかけに、私のモチベーションは冷め切ってしまいました。

今回は、そのメールの内容と私が抱いた猛烈な違和感、そして「熱意を持ってボランティアに関わるからこそ知っておきたい現実」についてお話しします。

届いたのは、ある相談員の「登録抹消」を知らせるメール
その日、スマホの通知に届いたのは本部からの緊急とも思える一斉メールでした。

内容は、あるボランティア相談員がマニュアルから逸脱した「不適切な対応」を行ったため、本日をもって登録抹消処分としたという注意喚起でした。

メールを読み進めるうちに、私の心の中にあった活動への情熱が、スーッと引いていくのが分かりました。そこに書かれていたのは、あまりにも高圧的で、一方的な言葉の数々だったからです。

私が特に強烈な違和感を覚えたのは、次の4点でした。

1. 「何がダメだったのか」具体的な問題点が不明
メールには「不適切な対応があった」とだけ書かれており、具体的にどんな言動がマニュアル違反だったのかは一切触れられていませんでした。

これでは注意喚起にならず、残された側は「自分も知らず知らずのうちに不適切な対応をしてしまうのではないか」という漠然とした恐怖感だけを植え付けられることになります。

2. 反論権なしの一方的な処罰
「団体が不適切と判断した場合、即座に登録抹消とする。その際、ボランティア側からの反論は一切受け付けない」という主旨の記載がありました。

人の話に耳を傾け、気持ちに寄り添う「傾聴」を掲げている団体が、身内であるボランティアの言い分や事情には一切耳を傾けない姿勢に、強い矛盾を感じずにはいられませんでした。

3. 損害賠償請求の示唆と「自己責任」の強調
さらにメールには、「団体に損害を与えた場合は損害賠償請求を行う」という厳重な警告が添えられていました。

無償で時間と心を差し出しているボランティアに対して、リスクや責任ばかりを過剰に押し付ける文面に、背筋が凍るような思いがしました。

4. トラブル時は個人対応(ボランティア保険は未加入)
決定打だったのは、「相談者とのトラブルに関して、団体はボランティア保険に未加入のため、ボランティア個人で対応すること」という事実でした。

組織として守る姿勢が見えないばかりか、基本的なセーフティネットすら用意されていない状況で活動させられていたことを知り、愕然としました。

メールの最後は、「活動参加同意書をもう一度最初から読み直すように」という、上からの命令口調で締めくくられていました。

なぜ、あれほど心が冷めてしまったのか
メールを閉じたあと、私の中に残ったのは「ショック」と「失望」でした。

それまで私が大切にしてきた「相談者さんの心に寄り添う」という姿勢は、組織の安全配慮の欠如と保身のための管理体制によって、足元から崩れ去ったように感じられたのです。

安心感のない環境では、相談者さんに対して本当の意味で温かく心を開くことはできません。「一歩間違えれば、自分も反論の機会すら与えられず切り捨てられ、賠償を請求されるかもしれない」という恐怖を抱えながら行う傾聴など、誰のための活動なのでしょうか。

この体験から得た「3つの学び」
この出来事は非常に悲しいものでしたが、ボランティアという活動に携わるうえで大切な気づきを与えてくれました。

① 「思い」だけで飛び込まず、組織の環境を確認する
ボランティアを始める際は、その活動内容や理念だけでなく、「ボランティア保険に加入しているか」「トラブル時のサポート体制はどうなっているか」という安全面を必ず確認すべきだと痛感しました。

② 組織と自分の「健全な境界線」を保つ
ボランティアは労働契約ではないからこそ、お互いの信頼とリスペクトで成り立っています。一方的な管理や過度な自己責任を求められた場合、無理をしてまでその場所に依存する必要はありません。自分自身の心身と安全を守ることが最優先です。

③ モチベーションが下がった自分を責めない
「せっかく始めたのだから続けなければ」「途中でやめるのは無責任かも」と自分を追い詰める必要はありません。組織の姿勢に違和感を覚えて気持ちが冷めるのは、自分が真剣に向き合っていた証拠であり、ごく自然な感情です。

おわりに
誰かの力になりたいという善意や熱意は、とても貴く素晴らしいものです。だからこそ、その大切な気持ちが、一方的なコミュニケーションや不条理なルールによって削られてしまうのは、本当にもったいないことだと感じます。

もし今、ボランティア活動や所属している組織のあり方に強いモヤモヤや恐怖を感じている方がいたら、一度立ち止まって「自分の安全と心が守られているか」を問いかけてみてください。

あなたの優しさや情熱は、あなたを大切にしてくれる場所で発揮されてこそ、本当の価値を持つはずです。

韓国サッカー協会、外国人審判に「性接待」ナイスですね

お待たせいたしました。お待たせしすぎたかもしれません。
世界中で疑われていた韓国サッカーの審判買収。
とうとう韓国サッカー協会が外国人審判に「性接待」を行っていたことが公表されました。韓国の政府機関による査察によってバレたのでございます。ナイスですね。
接待の経費をサッカー協会の法人クレジットカードで決済していたんでございます。組織公認のK-接待でございます。ナイスですね。

審判員のみなさんに気持ちよく笛を吹いていただくための性接待でございます。

審判員のみなさん、気持ちよくなってきたら、笛を1回吹いてください。ものすごく気持ちよくなったら笛を3回吹いてください。
吹いてますねぇ~ナイスですねぇ~!

 

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宗教指導者の功績、宗教の本質は生と死の「間」にある

はじめに
宗教の創始者や偉大な指導者について語られるとき、私たちはしばしばその「始まり」と「終わり」の特殊性に目を奪われがちです。

「生まれてすぐに立ち上がり、言葉を発した」

「母親が性行為を経ずに妊娠(処女受胎)した」

「死後に復活した」「臨終の際に数々の奇跡が起きた」

こうしたエピソードはドラマチックであり、人々の興味を惹きつけます。しかし、私たちはここで一度、立ち止まって考える必要があります。

私たちは本当に、その宗教や指導者の「本質」と向き合っているのでしょうか?

神話的なエピソードは「ゴシップ」に過ぎない
人生の始まりや最後の特殊性ばかりを強調するストーリーは、本質的な教えや功績から目を背けさせる「ゴシップ」のようなものです。

奇跡的な誕生や謎に包まれた死は、物語として消費するには刺激的かもしれません。しかし、宗教指導者を「奇跡を起こした特別な存在」としてしか見ない姿勢は、彼らが生涯をかけて伝えようとしたメッセージを置き去りにしてしまいます。

誕生の瞬間や死の瞬間にどれほど誇張された神秘があろうとも、それ自体が現代を生きる私たちの心を救ったり、生き方の指針になったりするわけではありません。

功績は「生と死の間」にこそ存在する
偉大な宗教指導者の真の功績は、「生まれ」と「死去」のあいだにあります。

彼らがどんな環境に生まれ、どんな苦悩を経て悟りや真理に至ったのか。
生前、どのような言葉で人々の苦しみに寄り添い、どのように行動したのか。

生と死の間に刻まれた「現実の中での生き様」や「残された教え」こそが、時代を超えて人々を魅了し、救いとなってきたはずです。

もし、誕生や死にまつわる神秘的な噂話や誇張されたストーリーにしか関心を持てないのであれば、最初からその宗教や指導者には触れない方が賢明かもしれません。なぜなら、それでは表面的なエンターテインメントとして消費しているに過ぎないからです。

おわりに
ある宗教や思想、あるいは偉大な指導者に向き合うとき、私たちは「いかに特別に生まれたか」「いかにショッキングに去ったか」に惑わされてはいけません。

見るべきは、彼らが「生と死の間」でいかに生き、何を遺したか。

表面的なゴシップを削ぎ落とした先にある「生の軌跡」にこそ、私たちが学ぶべき真の価値が眠っているのです。

多様性の違和感を考える:共産党風味の問題

今、話題ですよね。宇都宮隕石、じゃなかった、横浜流星さん、「多様性よくわからないんで」って言ったそうで。
いいですね、かっこいい「わからない」だったんでしょうね。僕もかっこよく「多様性わからない」って言いたいんですけど、50代男性って、基本的に宇都宮隕石じゃないですか、「わからない」じゃ許されないですよね。

で、ちょっと考えたんですよ。今話題の多様性について。結局、アレが気持ち悪いのって共産党風味だからですよね。

例えばですよ、子供3人とファミレスに行きました。子供たちはそれぞれ「ハンバーグ!」「スパゲッティ!」「オムライス!」って言ったとしますよ。
で、出てきたのがお子様ランチ3人分。
いまの多様性って、これじゃないですか。

ハンバーグ、スパゲッティ、オムライスが入ってるお子様ランチを「は~い、多様性に配慮したお子様ランチよ~」って持ってくるわけでしょ。「みんな、なかよく同じものを食べてね」って無理やり食べさせられる。
これが多様性?ってなりますよね。

共産主義者って、「みんな一緒」が好きじゃないですか。同じもの食べて、同じこと考えて、同じこと言って…そういうのが好きなんですよ。
「みんなと同じ『多様性』にしてください」みたいな。

結局、いまの『多様性』の違和感は共産党風味だからですよ。

 

 

女性天皇について

女性天皇の件なんですけどね。
僕、女性が即位することには反対じゃないんですよ。

で、ちょっと調べてみたんですよ。8人の女性天皇について。
調べて分かったんですけど、だいたい中継ぎ的に即位されてるんですよね。
兄弟が全員亡くなられたりとか、皇太子が5才だったりとか。陛下が急遽亡くなられて、適切な候補者がいなくて、とりあえず即位、みたいな。

唯一、皇太子から即位されたのが孝謙天皇。
皇太子として、次期天皇として期待されて準備していたのは、1人だけ。

お父さんは、こんでんえいねんしざいほう(墾田永年私財法)で有名な聖武天皇。
自分で開墾した田圃は私有化していいという自己責任論的経済政策やる方ですからね、当時としては超リベラル(自由主義的)な陛下だったんだと思います。
なので、女性皇太子は例外中の例外。

女性天皇問題の本質は、女性皇太子問題ですよね。
女性が皇太子として、次期天皇として扱われるかどうか。
やむおえず、中継ぎ的に、一代だけ、女性天皇が即位することはかまわない、と僕は思っています。
女系天皇には反対だけど。